「未来の教育を語る」第3回のゲストは、塩津圭介さんです。喜多流塩津能の継承者として伝統を守りつつ、若者へ能を伝える活動や学びの場を提供しています。前編では能の世界観についてお話を伺いました。後編は、能とディスカッションの共通点や教育について語ります。
㈱ビッグトゥリー
代表取締役 髙柳 希
ディスカッション好きが高じて
事業を立ち上げた
能楽シテ方喜多流/APU立命館アジア太平洋大学非常勤講師
塩津 圭介
3歳から能に通じ、現在は若者能、お能であそぼ、など
全国で広く活躍する
AIにはできない、人間らしい“多様な見方”とは!?
ーー前編のお話から能とディスカッションの共通点は、”答えがないこと”だと感じました。
答えがない世界についてもう少し詳しく教えて下さい。
高柳:基本的に答えのある世界はテストがつくれるんですよね!
答えがない世界は評価がむずかしいので少しスッキリしないかもしれませんね。
塩津:改めて考えてみると、すべてが割り切れていることのほうが不自然だと思いませんか?
たとえば、悪さをする蜘蛛を退治する“土蜘蛛”という話があります。
これを見た子どもに「蜘蛛がかわいそうだった」と言われました。面白いでしょう?
大人の見方では「重要な人物を助けるために蜘蛛を退治してハッピーエンド」が一般的な見方です。
まったく逆の視点から見ると、絶対権力に対し立ち向かった民衆が力で抑えられた悲しい話という捉え方もできます。
子どもは自然に多様な見方をしていますよね。
高柳:自由に感じている状態、見え方、ですね。
塩津:一般論にしばられない見方ですね。私は国語でよくある「筆者の一番言いたいことを書きなさい」という問題で、不正解をつけられることが理解できません。読解力をつける為なのかもしれないけど、一番言いたいことなんて書いた本人に聞かなければわからないでしょう。
高柳: 「一般的に」と補足するといいかもしれませんね。「社会で生きていく上で、ここから読み取らなければならないことはなんですか?」ってことですよね。
塩津:そうですね、社会で生きる上で必要なことでもあるのです。
「答えはそれぞれ」という意味では能はすべてが許される。だから子どもには良くないこともあるかもしれない。
社会の規範として学ばなければならないものもありますから。
それも踏まえた上で「こういう見方もできるね」と教えられる大人はクリエイティブだと思います。
人間だからこそできる、AIにはできないことです。
AIは88%の人が考えることがわかる、でも残り12%の人がすごく面白いことを考えているかもしれないでしょう。
高柳:その12%の人が何かを生み出すかもしれないですね。
塩津:そう、能はそういった考えの最も右側にあるようなものです。だから「少数派であることが恥ずかしくない」という世界観があるんですよね。現代は胸を張って「少数派です」と言える人が少ない世の中だなとも感じます。資本主義とはそういうものなのかもしれません。
8割の人がほしいものを作った方が売れる。現代の経済の仕組みの中で能を理解することは難しいのかもしれませんね。
高柳:私も一般論や常識などは社会で必要なことだと思います。
でも、その中に「自分はこう思うんだよね」という場があまりにも少ない。それなのに社会に出ると急に「考えなさい」って言われてしまう。
特に教育の場では「答えは一応これだけど、自分自身はどう考えるか?」という時間がもっと増えるといいなと思います。これは社会と教育のギャップだと感じますね。
↑お謡のお稽古
~無駄の中にある余裕、豊かさ~
ーー次世代へ伝えたいことはなんですか?
高柳:私は「違いを楽しむこと」ですね。ディスカッションでは、みんな同じということはありえません。
すごくクリエイティブな子がいたり、分析が得意な子がいたり。ディスカッションから得るものも、ある子は「自分の理由をちゃんと言えるようになった」「自信が持てた」など結果は一人ひとり違うんです。
能もそうなんじゃないでしょうか。「姿勢がキレイになった」と思える人もいれば「1日の中で落ち着く時間を持てた」って人もいる。
塩津:そう、高柳さんは自分なりの能の見方があるから、それ全部正解ですね。
高柳:やったー!(笑)なんだか嬉しいですね!
塩津:逆に言えば間違っていることなどないのですよ。
高柳さんが完璧ってことではなく、こういう生き方の概念を持てるようになってほしいというのが能のお稽古や趣味の時間を持つ意味だと思います。
なんでもそうですよね。カフェでお茶をするとき、その目的ってなんでしょう。
もちろんコーヒーが飲みたいというのもあるけど、その時間が大切だったり友人と話がしたかったり。その先にいろいろな目的があっていいんです。人間の生活には、そういうことが「絶対必要ではないけど必要なもの」なんですよ。
高柳:「絶対必要ではない必要」それはとっても共感するけどなかなか理解しづらいですよね。
塩津:「無駄の中にある余裕」かな。
高柳:なるほど、塩津さんの中で「余裕」ってなんですか?
塩津:「豊かさ」ですね。精神的な豊かさです。
高柳:それは大切ですね!今、自分は豊かだと思いますか?
塩津:豊かさ足りないなって思います(笑)
高柳:私も日々に追われて精神的な豊かさを忘れがちです。
~「絶対必要」ではないDコート!?~
ーー ディスカッションの教室「Dコート」について、率直にご意見下さい。
高柳:私は小学生から高校生までにディスカッションスクールを運営しています。小学生はゲームやワークショップ中心で、
中高生ではスピーチやプレゼンテーション、ディスカッションを行ないます。
たとえば、「400万年後の人類は?」などというSFチックなものから政治経済までオールジャンルでのディスカッションです。
「どんどん知識がついていく」というより「いろいろな情報にアンテナを張るきっかけ」を大切にしています。
興味関心の先に「自分で考える」「調べる」「判断する」などさまざまな思考を働かせていきます。
でも、まずは情報にアンテナを張ることが大切。Dコートでは、興味関心のきっかけがたくさん詰まった場にしています。
なかなかそれが伝わらないし、なにより生徒はまだまだ少ないです(笑)
塩津:それはさっきの話と似ているけど、「絶対必要」ではないのですよ。
高柳:えー!?
塩津:何に必要じゃないかっていうと「東京大学に入るためには必要じゃない」みたいなことですよ。
でも、社会に出ると絶対必要になることです。
高柳:必要な場面が違いますね。
塩津: 先日お子さんがいる親御さんと話していたことがあります。習い事が、だんだんと“いい中学校に入るため”の習い事になっている。そして次はいい高校へ、いい大学へ、と続いていく。これは学歴病理と言って後進国の国であるほど顕著です。
先進国、たとえばイギリスでは、靴屋の息子は靴屋で、そこへ高い誇りを持っている。その場合、数学を必死にやる必要はありません。そうやって割り切れているし、職業への尊敬もあります。
後進国で靴磨きや靴づくりは身分が低い人の仕事だと思われている傾向があります。
そういう「レッテル」がいろいろなところに貼られていて、全員が有名企業に入ることを目指してしまう。でも、全員が同じ道で幸せとは限りません。
Dコートはすごく社会に必要なことをやっているんですが、社会が追い付いていなと感じます。能にも通じるところですね。
高柳:そうですね、能も近いのかもしれません。今、情報があふれているのに、判断基準が少ない気がします。
学歴や企業名、職業などいくつかの判断基準が中心です。だからそこへ当てはまらなかったとき、気持ちの中の不安定さが生まれるんじゃないでしょうか。判断基準が多いと自分なりの納得が得やすいと思うんです。
~守るもの、新しくしたいもの~
ーー 最後に、未来の教育へそれぞれの分野で守っていきたいもの、新しくしていきたいものは?
塩津:私は「能に混ぜものをしない」ってことは絶対の守りたいポリシーですね。
「能とバイオリンを一緒にしない」みたいな。能はこれまでムダをそぎ落とし続けてきたものだから、
そこへまた何かを加えることは違うかなと考えています。
高柳:逆に新しくしたいことは?
塩津:今、取り組んでいる新しいチャレンジとしては、現代テクノロジーとのコラボレーションですね。
昨年は実際の演能中にラインで解説を配信しました。あとはVRカメラをつけて能を撮るとか。
能の本質を伝えるためのツールとして、現代テクノロジーを使うということは今後も可能性があると思います。
能を舞っていることはまったく変えませんが、架け橋となる部分にはチャレンジし続けていきたいです。
高柳:私はどんな時代になっても残したいもの、変えたくないところといえば「フェアなディスカッション」ですね。
有識者でも年齢が上でも、どっちが上とか下とかではなくフェアにディスカッションするということ。対して、変えていきたいものは「
自分で考え、判断する教育スタイル」にしたいなと思います。優秀かどうかって時代で変わると思うんです。だから何事も自分で感じて考え、ディスカッションしていきたいです。
日本初!ディスカッションの教室「Dコート」
コミュニケーションが総合的に学べる教育プログラムです!
グローバル・政治・社会・哲学・自分・友だち、身近なことから社会のことまで幅広いテーマのディスカッションを通じて、豊かな視点や興味関心のアンテナを育みます!また、一人ひとりの個性を尊重し、「自分らしいコミュニケーション」を大切にしながら、総合的にコミュニケーション能力を高めることができます。これからの時代に必須のコミュニケーション能力をDコートで伸ばしませんか?